こんにちは。店主です。
タイトルの通りですが、本日は『東京マラソン2023』の報告を綴ろうと思います。ただのオッサンの日記です。
もう開催から2ヶ月半ほど経っているのですがね…
3月は移転などもあり忙しかったのであります(言い訳です)
しかし先日の営業日に来てくれた常連さんと話してて、このブログを読んでくれてることや、そこから私のプライベートな面を知ってくれる方がいるのだなと感じたので、書こうと思った次第です。地域活動をしていく上で、人となりを知ってもらうのは大切だと思うので(それならもっと書け)
東京マラソンに申し込んだのは今回で4回目か5回目くらいだった気がします。倍率の高い大会というだけあってことごとく落選してきました。
昨年の大会で、職場の後輩でありかしづきにも手伝いに来てくれるニシムラくんが完走したのをみて「自分も体力が底をついて追い込まれた状態で、キンッキンに冷えたビールが飲みたいっ!!」と欲望が発動し、その強く不純な動機が通じたのか今回当選しました。
とりあえず私が今回掲げた目標は「4時間以内(サブ4と言います)で完走」
理由はニシムラくんが4時間半を切るタイムだったので、それに勝ちたいということ。そしてサブ4はランナーの上位20%に入り、市民ランナーとして一人前と言われるタイムであることから、一人前になりたい承認欲求が抑えられなくてこのタイムに設定しました。これを達成した日には堂々と「市民ランナーです」と名乗れるわけですね。知らんけど。
しかし市民ランナーと言われる方々は月に100km〜200km。いや、中には300km〜400kmほど走る人もいます。仲間入りできなさそうです。
私もなるべく家族に迷惑のかからない休日の早朝を利用してランニングを開始。それでも平均で月50kmくらいしか走れません。体力と根性と決意が足りません。
夏にはランナーズニー(ランナーに多く発生するスポーツ障害で、私も職業柄よく知っている病態)を発症してしまい、膝が痛くて10kmも走れない状況に、、
しかし理学療法士として自分の膝のトラブルも解決できないようでは一人前ではないよなぁと反省。自身の身体を分析し、弱点を強化するトレーニングを続けてなんとか克服することに成功しました。これで私も一人前の理学療法士です。身体の不調がある方はお気軽にご相談ください。営業時間などでも簡単なチェックやアドバイスなら雑談しながらお伝えしますので。
そんなこんなで前置きが長くなりましたが、膝の痛みは克服しつつも、練習量といえば直前である1月の月間125kmが最高。一回での最長走行距離は30km(ヘトヘトになりました)という…少しは練習したけど、サブ4とか狙えるのか不安が残る状態で3月5日東京マラソン当日を迎えました。
当日は世界中から27000人ものランナーが新宿に集合です。事前のランナー受付の際も外国人だらけで異様な雰囲気。daddyの趣味に付き合わされたJAPAN旅行のFamilyたちが、地べたに座ってdaddyの手続きが終わるのを待たされていました。そんな光景こそがコロナ禍で失われていたお祭りであり、気分が高揚しました。
直前1週間は練習・睡眠・食事をしっかり考えてコントロールし、身体のコンディションをピークに持っていった状態で、スタート後は良い感じに走り始めました。事前に計算したペース配分、補給タイミングなどのメモをポケットにしまってサブ4達成を狙います。
10km地点ではまぁまぁいい感じに走れていました。少し計算より遅いペースでしたが、一度トイレに行ったのでその分だろうと考え(これが仇となります)、そのままのペースで淡々と走ります。
しかし20km付近で気付きました。
「ん?なんかかなり距離がズレてる、、?」
そうです。私のアプリでは20kmを1時間50分ほどで走れているペースだったのですが、実際にはまだ19km〜20kmの間くらい。つまりGPSがズレていたのです。
東京マラソンはコースに高層ビルが多く、GPSが乱れることはあるあるなのだとか。それによってGPSを頼りにペース配分していた私の計算は全て狂ったことになります。
GPSが機能しないとなると、ペースをどう調節すればいいか分かりません。練習不足のツケが回ってきました。自分の身体ではペース配分が分からない素人ランナーなのです。
「ちょっとペースあげよう」と少しだけスピードをあげますが、25km地点でもまだサブ4達成には届かなそう。遅れが取り戻せません。
まだ25km地点でも余裕はあったので、さらにスピードを上げました(これが致命傷となります)
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30km地点。フルマラソンの界隈では『魔の30km』という言葉があるくらい、多くのランナーが30km付近から一気に足取りが重くなると言われています。もちろん練習不足の素人ランナーである私も、その餌食となりました。
30km以降は独り言のようにブツブツと「つらい」「頑張れ」「つらい」「頑張れ」と心の中で自身を励ましながら走ります。
この間には多くの一人前市民ランナーに抜かれまくります。
以前、市民ランナーの女性患者さんが「男の人はね、最初飛ばして後半に失速する人が多いのよ。バカね。」と言っておりましたが、その言葉通りになりました。還暦を迎えたであろうおばさま方にもどんどん抜かれます。
しかし沿道の応援は凄まじい人数。私の周りもみんな険しい表情でペースが落ちてる様子ですが、沿道からは「あと7kmだぞ!」「歩きに来たんじゃないだろ!」と応援の声が止まりません。
根は真面目な私はこの応援の言葉を真摯に受け止め、「そうだ。歩きに来たんじゃない!」「抽選で外れて走りたくても走れない人が沢山いるんや!」と元気をもらい、”給水所以外では絶対歩かない”という自分を甘やかしたルールを設定しました(それまでは給水所も歩いていなかったのですが)
しかし1kmが遠い。時間と共にペースがどんどん落ちていることは、後からアプリを見ても確認できます。
私の中での”給水所エリア”は次第に広範囲になっていき、終盤には”給水所が見えたら歩いてオッケー”くらいのルールに変更されていました。
そんなこんなで目標の4時間はとっくに過ぎ、とりあえず「給水所以外は歩かずにゴールする」に目標変更。
ラスト1kmは残る力をすべて振り絞り、沿道の大声援にも背中を押してもらってペースをあげてゴール。
記録は4時間10分9秒でした。
ゴール後はすぐにでも崩れ落ちて横になりたい気分でしたが(箱根駅伝でよくみるやつ)、人混みがすごくて横になるどころか自分のペースで歩くことすらできず、立ち止まるような状況でした。
本当にヘトヘトです。もうエネルギーが全て枯渇した状態です。
そしてこの疲労感こそが私が今回求めていたもので、頭の中ではすでに「キンキンのビールが飲みたいっ!!」に切り替わっております。そう。このビールを飲むために日々走り、当日もヘトヘトになりながら完走したのです。
ゴールの大手町から少し歩いて、丸の内で家族と合流(ニシムラくんも応援に来てくれました)
その後、ビールを飲めるお店を探しましたがどこも満員で入れず(皆考えることは同じ!計算が甘かった)
とりあえず千代田線に乗りホームタウン足立区に帰り、北千住でビールを頂きました。家族もろくに食事も取らずに応援してくれてありがとうございます。
翌日の月曜日は有休を取っていたので、朝5時に起きてママチャリで草加の竜泉寺の湯に行って来ました。
竜泉寺の湯までは約6km。フルマラソンを走った私の感覚は完全にバグっており「6kmなら自転車で余裕やん」と、ギアのないママチャリで40分ほどかけて行って来たのであります(サウナに岩盤浴、最高でした)
次はどこのマラソンに出ようか悩み中です。
ぜひ一緒に走ってくれる方がいましたら、お誘いいただけたら幸いです。