こんにちは。ささやんです。
いきなりですが、今日は少し私の昔話を紹介させてください。
というのも、この話は結構インパクトがあるといいますか、子育て中の保護者世代の方々や子どもと関わる方々にとって非常に示唆に富む話だと思うので、ぜひここでも紹介したいと思った次第でございます。
以下の話は私の身の回りで起きた事実ですが、個人が特定されないように少しニュアンスを変えながら綴ろうと思います。
私が子どもの頃、近所に体格が良くてスポーツもできるA君という男の子がいました。
その子はスポーツでは活躍していて、地区選抜などにも選ばれていたし、面白くて人気者でした。だけど別の同級生B君のことが気に食わない様子で、B君のことを強く非難したり「いじめ」と言える行動が目立っていました。
B君は嫌がらせを受けていたものの、距離感を保ちながら彼のペースで生活していた様子でした。彼は孤立しているわけではなく、私を含め友達もいました。
それから20年以上の月日が経ちました。
同窓会でA君やB君と再会です。
その頃のA君は、仕事も長く続いていない様子で、学生時代に始めたタバコもやめられず、子どもの頃は良かった体格も肥満傾向になっていました。
一方、B君は大学・大学院と日本でも有数の国立大学を卒業し、その後は世界的にも有名な海外の大学で研究員として研鑽し、現在は国内の某名門大学で准教授として研究をしています。
人生に優劣はないので、どちらが良くてどちらが悪いという話ではありませんが、子どもの頃に活躍できることが必ずしも将来のために重要というわけではないというのは思うところです。
上述したのは私の身近な友人のノンフィクションの話。
こんなことが身近に起こったものだから、私自身は「子どもの時期に運動ができる」とか「学校でヒーローになれる」とかは将来と関係のないことだと思っています。もちろん運動ができてそのままスーパースターになるスポーツ選手も沢山いますが、そうでない人の方が圧倒的に多いでしょう。
自己肯定感とは何か?
こういったストーリーが語られる際に必ずと言ってもいいほど引き合いに出されるのが『うさぎと亀』の話ではないでしょうか。亀のようにノロマでも、コツコツと前に進み続けること。ウサギのように足が速くても、途中で油断していると追いつかれるということ。
そんな印象を受ける童話であるが、大切なことはそこではないでしょう。
「うさぎはなぜ休んでしまったのか?」
「亀はなぜ前に進み続けられるのか?」
そんなそもそも論を一旦置いて、“亀のようにコツコツ頑張りなさい!”とか言われちゃう世の中だからこそ、頑張ることに疲弊している人が沢山いる。将来に不安を抱き、将来どころか現在に不安を感じる日本になっているのではないでしょうか。
大切なことは、亀のように頑張ることではなく、亀がなぜ進み続けられたのか?そこにあると私は思うのです。
そこで重要なのは、亀は亀であることを自覚していることです。亀は決して「ウサギのように速く走れたら」とか「なぜ自分はウサギに生まれなかったのだろう」などとは考えません(知らんけど)
亀にとって、スタートから差がつくことは想定内です。そこを見誤ると、スタートで出遅れた瞬間に「もう無理ぽ」となりますよね(知らんけど)
つまり、亀が亀であることを知っていること。受け入れていることがスタートです。これは自尊感情と言われるものと考えてもオッケーだと思います。
自尊感情とは、自分の存在を尊いものと感じられる気持ちのこと。自分を受け入れている心です。
そして自尊感情が育まれているからこそ、他者との比較で自分を評価することはありません。自分のペースを知っており、だからこそ何か目的があった際に、それを達成するために何が必要か?どれくらいの期間が必要か?それを見立てることができます。見立てることができれば、それを達成するために取り組み続けることができるものです。これを自己効力感と呼んだりしますね。
自尊感情と自己効力感を合わせて、自己肯定感と言います。
きっと亀には自己肯定感が育まれていたはずです。だからこそスタートで差をつけられても、それは想定内。他者が決めた勝敗ではなく、自身の中で“ゴールまでこのペースで歩けば、これくらいの時間で到達できるはず”という見立てができて、歩き続けることができたのでしょう。
そこに居ていいと思える場所
冒頭の、私の友人たちの話に戻ります。
A君はスポーツ万能でした。しかしB君をいじめていた。いじめる側の心理的なものを考えれば、おそらく彼には満たされていない何かがあったのだと思われます。例えば兄弟と比べられて劣等感を感じていたり、親からの期待に応えられていない自分がいたり。
ありのままの彼を認めてもらえているわけではなく、“条件付き”の彼を認めさせようとして苦しんでいたのかもしれません。
自尊感情が育まれていない状態では、見立ては不可能です。ありのままの自分を認めなければ、どこかで無理が生じます。
そんな状態での歩みは非常に脆く、目的地もなくエネルギーだけが消費されていきます。
B君はマイペースでした。例え罵られても、彼自身にとってその言葉にはピンと来ていなかったのでしょう。何も動揺する気配もなく、彼なりのペースで日々を過ごしていました。
きっとそこには、無条件で彼の存在を受け入れてくれる場所があったのだと思います。
それは家庭なのか、学校の他の友達の存在なのか、地域の中にあるのかは分かりません。
ただ、そのままの自分を無条件に受け入れてくれる場所があること。そんな所から自尊感情というのは育まれていきます。
私は自分が接する子どもたちには、子どものうちからヒーローになってほしいとは思っていません。
ただただ、自尊感情が育まれてほしい。自己効力感が育まれてほしい。
そんな思いから日々子どもへの声かけを意識していますし、駄菓子屋を運営しています。
これからの長い彼らの人生を考えた際には、今ヒーローになることよりも、自己肯定感を育むことの方が尊いと思うからです。