コミュニケーションの決定要因

子どもの発達

こんにちは、店主です。

最近はトレランのレース記事を立て続けにアップしていましたが、閲覧数が超少ないので真面目な記事を書こうと思った次第です。笑(まぁトレランを通じて学ことが多いので、今後も時々書くと思います)

さて、今日は「コミュニケーション」について。

先日、娘の所属しているミニバスのチームメイト達がかしづきに遊びに来てくれました◎
みんな学校もバラバラなのに、わざわざ来てくれてとても嬉しく思います。

私は自身がバスケをしていたこともあり、バスケが好きなので娘のチームの試合はよく観に行きます(娘はまだまだ下級生で主力ではありませんが)

ミニバスのコーチ陣に対しての信頼もありますし、余計な口出しはしないように気をつけています。
いつも試合は静かに見ているだけ。子どもたちへの声かけもあまりしません。

いや、本当は声かけなどは大切だと思っているのですが(戦術に口出しはNGです)、女子チームということもあり父親の立場での関わりが難しいなと感じたりもします。

でも子どもの発達を考えた際は、やはり多くの大人と関わる方が良いとは思います。
子どもが何かに悩んだり、自信を失いかけている時に、それを打破してくれるきっかけは些細な一声だったりするのです。
であるならば、様々な人との関わりからその機会が増える環境は大切です(私自身も幼少期は、周りの大人のふとした一言に救われたことが沢山ありました)

でもやっぱりミニバスの主役は子どもたち。父親という立場でコミュニケーションを取ることはできません。

しかし、先日かしづきに子どもたちが来てくれた時はなぜか違いました。
レジで自然と会話が生じるし、ちょっと冗談を言ったりもするし、気を遣わない関係性なのです。

この違いは何か?『個人 – 個人』の関係性は変わりません。
個人 – 個人の関係性は変わらないですが、その『個人』には変化が生じるのです。

かしづきでは『子ども:お客さん、私:店主』という役割が個人を決定します。
ミニバスでは『子ども:選手、私:チームメイトの父親』という役割が個人を決定します。

個人とは『確固たる個』など生じることはなく、社会的立場や役割、そして関係性などから常に変化する『流動する個』なのでしょう。

なのでコミュニケーションを決定するのは『個 – 個』ではありますが、その背景にある「役割・立場」などの社会的要因が関係性やコミュニケーションを決定するのです。

 

 

理学療法士、バスケ部のトレーナー、小学校支援員、駄菓子屋店主、チームメイトの父親

私はこれまで様々な立場で子ども達と関わってきていますが、それぞれの立場でコミュニケーションが大きく異なっています。

これは当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、かなり重要なことだと改めて気付かされます。

どんな子たちの発達を支援したいのか?
どんな子たちに手を差し伸べたいのか?

それを考えれば、社会的にどんな立場で子どもたちに関わることが理想なのかが見えてくるように思います。

駄菓子屋はやっぱり可能性がとても広いなぁと感じる今日この頃でした。

 

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